26『白の刻』



 時は確実に流れている。
 早くなる事もなく、遅くなる事もない。
 常に同じ早さで流れている。

 予め定められた事象がある。
 それは起きるべき時が刻まれるのを静かに待っている。
 そしてその時は確実にやってくる。



「馬鹿が……」

 大きな執務机の上で、握り拳をわなわなと震わせながら、魔導研究所所長・アルムス=ムーアは呻くように呟いた。
 先ほど、研究所内で起こった、最近開発部から研究部に移ったダクレーという男が戦闘の末に殺された事件のことを知ったばかりなのだ。

 “セーリア”を初めとする魔導器によって、環境を快適に保たれているこの街は、それ故に税金が高く、貧しい者は住めない仕組みになっており、貧富の差による事件というものは起こらない。
 また、“鍵”のように、最新の魔導技術による防犯が利いているため、エンペルファータ市民は、事故の可能性が多分にある研究所に勤めている者を除けば、護衛に囲まれて暮らしている各国の王家の人間よりも安全であると言われているのだ。
 そのため、殺人事件が起こったと聞いて、報告してきた行政部長・エイスの声は強ばっていたが、彼をいらだたせているのは、殺人事件という事件の性質ではなく、殺された人物であるダクレーの方にあった。

 昨今、彼の頭を悩ませていたのは二つのエネルギー問題である。一つは魔石問題。次々と魔石鉱山が閉鎖されていき、魔導文明の源と言える魔力が尽きつつある。しかしこちらの方はウォンリルグにまだ豊富にあるとされる魔石資源に頼ることで、どうにか乗り切る事はできるだろう。
 しかし、問題はもう一つのエネルギー問題、“セーリア”のエネルギー問題である。これは魔石問題とは全く別の問題だった。
 “セーリア”は大災厄にも対抗できる障壁。その魔法効果の大きさからも、消費魔力の大きさは想像できる。実際、普通の魔石では“セーリア”に必要な魔力を賄い切れない。よって、“セーリア”の動力源は魔石ではない、“あるもの”だった。
 ところが、その特別な“あるもの”も内に宿す魔力が尽きかけている。このままでは数年持たずに“セーリア”はその稼動を停止してしまうだろう。
 これは、エネルギー源の代わりが思い付かず、“セーリア”が使えなくなれば、その後二百日以内に“孤立する日”という確実な滅びがやってくるという点で、魔石問題よりずっと切実で難解な問題だった。

 そんな問題に一つの解決策を見出させてくれたのがダクレーである。度々暴走を起こし、彼の悩みの種の一つであった“滅びの魔力”を“セーリア”の動力源にしようという案は彼にとっては一石二鳥の提案であった。
 アルムスはその提案を受けた後、それを実現すべく多少の無理を押して、ダクレーを“滅びの魔力”研究の主任に据えた。

 その結果がこの事件である。
 ダクレーを殺した魔導士というのが、リク=エールという、フィラレス=ルクマースと共に魔導研究所にやってきた男であるから、おそらく、彼等の戦闘の原因は“滅びの魔力”絡みだろう。何かの失態を犯し、その繕いをするために、彼に戦闘を挑んだという見方が一番あり得る話だ。
 だが、その戦闘で勝ったらしいリク=エールも、今は重態となっているらしいので、ダクレーがリク=エールに何を喋っていようと、外部にもれる心配はない。つまり、ダクレーの“繕い”は半ば成功している。
 大事になってしまったが、この状態ならダクレーの提案を他の人間に任せる事もできる。

(やはり、狡猾なだけの奴では駄目だな。代わりはもっと器の大きな男にしなくては)

 “滅びの魔力”を持つ娘をその気にさせる事が出来、且つ、ダクレーの計画を引き継いで進める事ができるだけの頭脳を持つ人物。
 能力的には、以前から“滅びの魔力”を研究していたミルドが適任だろうが、彼はフィラレス=ルクマ−スに娘のように愛情を注いでいる節があり、反対するのは目に見えているので、思想的にいえば、ミルドはこの計画を任せるには最悪の人材と言える。

(どうしたものか……)

 研究部と開発部の名簿を眺めながら、アルムスが一人思考を巡らせていると、“伝声器”から秘書の声が聞こえた。

『市長、開発部長と魔導学校長が面会を希望しております』
「そうか」と、アルムスは短く答え、胸中で丁度いい、と思った。
 
 ディオスカスとドミーニクはダクレーの計画を知っている数少ない人間の二人だ。ダクレーの代わりの人選をする相談にはいい相手だろう。
 おそらく、彼等が今来たのも、ダクレーの事件を聞き付けたからに違いない。

「通してやってくれ。それと三人分の昼食の用意を」

 ちらりと時計を見ながら、アルムスが告げる。色を変えて時を知らせる時計は、限り無く白に近い、卵色になっていた。


「丁度、呼び出そうと思っていたのだ、そっちのほうに掛けてくれ」と、アルムスはディオスカスとドミーニクを接客用のソファに座らせる。
「所長も既にお聞きでしたか」と、ディオスカスはゆっくりとした動作で柔らかいソファに身を沈める。ドミーニクもそれに倣い、ディオスカスの隣に腰掛ける。

 アルムスも、二人の向かい合う形でソファに座ると、アルムスと二人の間にあるテーブルに、研究部と開発部の名簿を投げ出した。

「至急、ダクレーの代わりの人選を急がねばならん。君達に能力的、思想的に信頼のおけそうな人物に心当たりはあるかね?」

 ディオスカスはその名簿を取り上げ、ぱらぱらと捲ってお座なりに目を通しながら答えた。

「掃いて捨てるほどいますよ。人材に関して、ここまで贅沢なところは他にはないでしょうからな」
「ふむ、ならばこの中から一人選んでくれんかね? なるべくなら、今度は性格のいい者を頼む」

 元々、問題の多い男だったが、その中でも一番大きな問題は、その性格だったとアルムスは思う。
 あれほど人の喜ばせ方を知らず、人の気分の害し方を熟知している男はいないだろう。たとえ必要があるにしても、彼にはなるべく接触したくない男だった。

「それで、目撃者であるリク=エールの方はいかがしますか?」
「どうするって……彼は死にかけているのだろう?」

 何を知っていようとも、かなり状態の安定した状態にならない限り何を喋る事も出来ないだろう。
 ディオスカスはそれをどうしろと言うのだろう。

「万が一、ということもあります。命を取り留めて、彼の口から計画の事が漏れれば厄介だ。それに、命を取り留めてから口封じをしたのでは、いささか不自然になってしまう。死にかけている今がチャンスですよ」
「私に彼を殺せと言うのか……!?」

 驚きに目を見開いているアルムスに、ディオスカスは意外に感じたように言う。

「今さら何を仰る。元々この計画はエンペルファータの為に一人の少女を犠牲にしようというものではありませんか」
「殺すのではない。他の手段が見つかる迄、眠っていてもらうだけだ」
「詭弁ですよ、それは」

 反論するアルムスに、ディオスカスは切り捨てるように言葉を返す。
 ディオスカスは柔らかなソファから立ち上がって続けた。

「他の手段が見つかるのはいつの事ですか? 少なくとも十年や二十年は無理でしょう。見つかる保証もない上に、見つかったとしても、あの利用価値の高い娘をむざむざ手放すはずがありません」

 ディオスカスこそ今さら何を言うのか。
 アルムスは内心で一人ごちた。ダクレーを紹介し、この計画を自分に進めたのは他ならぬディオスカスだ。その彼が、何故今、アルムスを批判し、責める。

 答えはすぐに出てきた。要するに彼は言いたいのだ。
 自分はもう既に引き返せないのだと。

 ディオスカスは、ゆっくりとソファの周りを歩き回りながらアルムスを諭すように言う。

「たかが一人の男ですよ。それがエンペルファータの市民三万人を救う事になるのです。犠牲を渋れば、大事は成し得ません」
「………」

 口をつぐむアルムスを、見下ろしつつ、ディオスカスはドミーニクに視線を移した。
 その視線に気付いたドミーニクは時計にちらりと見遣ると、目だけで頷いてみせた。
 それを受けた、ディオスカスは言葉を続ける。

「そう、大事には犠牲が必要な場合が多々あります、所長。例えば魔導文明の第二の黄金期を築く事ができるとしたら、その為にエンペルファータを犠牲にする覚悟はありますか?」

 突如として開発部長の口から出てきた大言に、アルムスが弾かれるように頭をあげる。

「エンペルファータを犠牲にする? どういう意味だ?」
「例え話ですから具体的には言えませんが、取りあえずこの街が無くなるという事です。住民はどこかに移住する事になりますな」
「しかし、魔石の底が見えている今、あの頃の状態に戻れるはずがない」

 魔導文明の黄金期。それは今から三十年前から二十年前を指す言葉だ。掃いて捨てるほど魔石が採れたあの頃は、魔力は底なしと信じきり、それこそ湯水のごとく浪費をしていたものだ。
 今から丁度二十年前に魔石鉱山の一つが初めて閉鎖され、資源が有限である事実を目の前に突き付けられた時、魔導文明の黄金期は終わりを告げ、過去のものとなったのである。
 黄金期の頃の魔導器の開発は、いかに効力が大きいものを作るか、が課題であったが、どの魔導器も黄金期の終わりあたり、魔石の減少と示し合わせるように、効力の増加も頭打ちになり、最近の開発課題は同じ効力でどれほど魔力の消費を抑えられるか、だった。
 当時から研究・開発活動に関わっていた者たちは嘆く。黄金期の開発はいつも前を向いて歩いている気持ちだった。今は後ろを見ながら横に歩いているような気持ちである、と。

 アルムスもその頃は開発活動に関わる者の一人で、彼も、そのような気持ちを抱き続けている。

「出来る事ならば、あの頃に戻りたい。だが、それはもはや幻、夢物語だ」

 ディオスカスの言葉から、彼の心の内に蘇った思いを吐き出すかのように、アルムスは漏らした。
 その言葉に、ディオスカスが満面に不敵な笑みを浮かべる。

「しかし、私なら出来る」
「何?」

 余りに簡潔な言葉だったので、アルムスは反射的に聞き返した。

 カラーン。

 同時に時計が白の刻(正午)を告げる、気持ちのいい鐘の音が響く。
 立っているディオスカスを見上げたアルムスの視界の隅で、ドミーニクが動くのが見えた。

「《蔓の束縛》によりて、我は汝の愚かな動きを戒めん!」

 ドミーニクの魔法は即座に効果を現わし、ソファから生えてきた蔦が瞬時にアルムスを縛り上げた。
 混乱しながらも、アルムスは、自らの魔法を持って、ドミーニクの《蔦の束縛》を破ろうとするが、その動きを見切ったかのように、ディオスカスが、いつの間にか手に持っていた首輪を素早くアルムスの首に取り付ける。
 “滅びの魔力”保持者であるフィラレスがしているのと同じ魔封アクセサリーだ。“滅びの魔力”ならば、まだ漏れ出して魔導を行う余地があるのだが、常人並みの魔力だと完全に封じ込めてしまう。

 カラーン。

 どう足掻いても手も足も出ない事をアルムスが理解すると同時に、再び時鐘の音が聞こえる。

「ディオスカス! 貴様、一体何を考えている!?」
「申し訳ありません、所長。私は一つだけ嘘をついておりました。アレはただの例え話ではありません。本当に起きる事だったのです」

 アレ、とは先ほどのディオスカスの例え話の事だろう。第二の魔導文明の黄金期を作る為にエンペルファータを犠牲にする、という。
 夢物語だと否定するアルムスに対し、ディオスカスは確かに自分なら出来ると言った。

「まさか、貴様……それを実行する気なのか!?」

 馬鹿な、出来るわけはない。
 魔導文明の第二次黄金期など、夢幻に過ぎない。

 アルムスは言外にそう付け足す。
 彼の知る限り、ディオスカスはこのような大それた夢想に取り付かれるような男ではなかったはずだ。

「馬鹿な真似は止めろ。このような夢が叶う訳がなかろう」
「これは、叶う、叶わない、という問題の夢などではありませんよ。行う、行わない、という問題の計画なのですから」

 カラーン。

 ディオスカスの断言に同意するかのようなタイミングで三度目の鐘が鳴る。

 絶句するアルムスに背を向けて、ディオスカスは所長用の大きな執務机に向かうと、“伝声器”を操作して所内放送に切り替える。
 そして、彼は宣告した。

「魔導研究所関係者全員に通達する。本日“白の刻”を持って、魔導研究所は暫定的に当研究所開発部長兼魔導士団長・ディオスカス=シクトの指揮下に入る」

 カラーン。

 “白の刻”を告げる最後の鐘の響きは、ディオスカスによる、魔導研究所史上初のクーデターの始まりを祝っているかのようだった。


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 心地よい鐘が白の刻を告げた瞬間、魔導研究所の状況は一変していた。
 それは魔導研究所の開発部軍事部門の施設である『軍事魔導器管理室』においても例外ではない。否、むしろその筆頭と言ってよかった。

「何の……つもりだ!?」

 魔法によって強制的に引き起こされた睡魔に必死で抗いながら、軍事魔導器管理室の事務員である男は尋ねた。
 彼の周りには、既に眠りに落ちた同僚達が転がっている。魔法で引き起こされた眠りだ。彼等の“事”が済む間では決して眼を覚ますまい。
 彼等の前に立っているのは、同じ軍事魔導器管理室の事務員だった魔導士の男だった。

「見ての通り。魔導兵器を使うのさ。折角作り出したのに、使わないのも勿体無いだろう?」

 簡潔に答える魔導士の背後には、次々と軍事魔導器を運び出していく、おそらく彼等も魔導士であろう別の人間達の姿が見える。
 睡魔に侵されつつある、彼の脳裏に先ほどのディオスカスの宣言が蘇る。
 あれは、本気だったのだ。

 考えてみれば、これはいつでも起こりうる事だったのだ。
 魔導研究所には表立って軍隊などはない。しかし選りすぐられた資質に最先端の養成を施された魔導士達、そして最新鋭の技術を持って生み出された魔導兵器の持つ軍事力は、三大国のうちの一つと戦争を行っても十分に渡り合えるくらいの大きさはある。
 そして魔導士達を統べる魔導師団長、魔導兵器を扱う者たちの長である開発部長。双方の肩書きをもつディオスカスなら、このようなクーデターは十分に可能だ。魔導士団に所属する魔導士達の力で所員をまとめて眠らせ、さらに魔導兵器を持ち出す許可を与える権利を持っている。ただでさえ質がいいと言われている魔導研究所の魔導士達がその魔導兵器を使えば、いとも簡単に魔導研究所を制圧する事ができるだろう。
 所内での肩書き上はアルムスに劣るとは言え、ディオスカスは純粋な意味で非常に大きな力を持つ、危険な存在だったのである。

 気付くべきだった、その事に、もっと早く。
 世界から戦が姿を消してはや百年。
 その間に自分達は忘れてしまっていた。
 最後に物を言うのは、権力などではなく、武力なのだと言う事を。

 自分の小さな抗いなど何の意味もない事に気付いた彼は、限界に達していた睡魔に遂に身を任せ、その場に倒れ込む。
 次に眼を覚ました時、“事”の全て終わった魔導研究所に思いを馳せながら。

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